スマトラ沖地震

とうとう巨大なヤツが来てしまったなって感じです。
世界各地で起きている地震、なんだか地球が悲鳴を上げているような気がしてならない。
地球は宇宙の秩序の中で動いている。そして人間はその自然の中の一部で生かされているに過ぎない。
その自然に見放されたら人間など生存していける筈も無い。
ホント、戦争なんかやってる場合か・・・
目を覚ますか、淘汰されるか。大袈裟ではなく、切実に人間は今、そんな立場に立たされているのではないかと思う。


今朝テレビを見ていたらプーケットでインタビューされる日本人の少年が映った。
津波で両親と弟が行方不明になっていると言う。
「弟を助けにお父さんが・・・」少年の声が涙でかすんでいく。
・・・テレ朝、逝ってよし!!!!!
こんな無神経な映像によって、いったい何を伝えたいの?
まさしく今、安否の不明な家族を案じ、どうしていいかもわからず只々途方に暮れている少年に対して何かを言わせようなんて!
インタビューを行った現地記者の人格を疑わざるを得ない。そしてそれを放映するテレビ局も同様。
奇しくもコメンテーターの一人がそれを指摘したのが救いだったけど。
その少年が今どんな状況にあるのか、どんな思いでいるのか・・・言葉も通じない異国の地で突然被災し、たったひとり取り残され、どれ程の不安と悲しみが彼を襲っているのか・・・
ちょっと考えれば想像できるはずだ。
そんな事もわからないなら報道の意味なんて無い。
悲しみに暮れている人達を引っ張り出して来て何か言わせるのが報道ですか?
視聴率を上げたいだけの報道なんていらないよ。
そこまでするなら、テレビの情報力でもなんでも使って少年の家族を探す協力くらいしろよなっ!
北朝鮮の拉致も、イラクで殺害された香田さんも、奈良の少女殺害も、新潟の被災者も
本人やその家族がどんな気持ちでいるのか、自分の身に置き換えれば想像くらいは出来るはず。
本当の気持ちなんて、実際にその立場になってみなければ到底その過酷さは計り知る事なんて出来ないけれど、想像くらいは出来るはずだとワタシは思う。
「想像」って作業が今の人達にどれほど出来ているんだろうと、最近良く思う。
日常の人付き合いに於いても同じ。相手の立場や心情を慮ってちょっと想像してみる。
それだけでその人に対して自分が成すべき言動が自ずと見えてくる筈だとワタシは思っている。
「こうしたら痛いだろうな」「こう言ったら傷つくだろうな」「こんな事自分がされたら嫌だな」
常にそう言う事を想像出来る人が増えれば、それこそ事件や戦争を回避できる事になりはしないだろうか。
ま、所詮は極論ですが(笑)
もうすぐ2004年も終ってしまうけれど、来年は色んな事が解決して少しでも多くの人達が笑顔になれる事を願って止まない、年の暮れなのだった。
以上、小市民主婦の多事争論でした(笑)